語り継ぐことって、
あまりこういったことを書くことはないんだけれども、
今日は63年前に広島に原爆が落ちた日。
ボクが生まれるずっと前の話。
でも、知ってる。
教わったんだ。先生から、被爆者から。
たくさん話だって聞いた。
原爆ドームだってこの眼で見てきた。
こんなことが二度と起こらないように、平和を願うんだ。
高齢化が進む被爆者たち。
みんな歳を取る。
被爆者はいずれ、皆いなくなるという事実。
人間だから、時間があるから。
でも、
そうなった未来も、
きっとこの日には追悼と平和を願う式典が行われるんだろう。
だって、教わったから。
教科書にだって書いてある。
映像だって、写真だってたくさんある。
誰もが戦争はいけないことだって言ってくれる。
原爆は、核兵器はいけないことだって言ってくれる。
平和を願うのは、どう考えても間違ってない。
それでいい。
語り継がれるっていうのは、こういうことか。
でも、
それで、全てが伝わるのかどうか。
事実の「重み」が薄れていくのではないかって思ったりもする。
時の流れが消していくのは人の命だけではない。
難しいことはボクにはわからない。
ただ、
教育者になった時に、
平和とは何かを教える立場になった時に、
次の世代を担う子どもたちに、
この事実をどう伝えればいいのかと思うと、
今日の日を考えないわけにはいかない。
そんな気がする。
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