うまく言えないけど、
まだ、
体が温かくて、
目を、閉じているだけで、
もしかしたら・・・。
そんな、
大切な人の、
その命の一部を、
誰かのために譲れるか。
いや、譲ることを決められるか。
わからないです。
思うんです。
ボクが、
自分で意思を決められない、
小さい子どもだったとして、
もし、ボクが動けない、目を覚まさない状態になったとして、
もし、
もし、
その命を、
その一部を、
お父さんや、
お母さんが、
他の人に譲るということを決めたとしたら、
きっと、
小さいボクは、寂しいです。
それで、
命が繋がることは素敵なことです。
本当に、
本当に、
素敵なことです。
でも、
もし、
愛する人が、
その決断をするのだとしたら。。。
ボクは、
最後の最後まで、
お父さんとお母さんだけの子でありたい。
だから、
自分の意思も、
大事なんじゃないかって、
ボクは思うんです。
だから、改正案で、
本人が意思を示していない場合、
家族が命を譲ることを決められることは、
複雑な思いになります。
もし、
本当に小さい子どもだったら、
その意思決定は、できません。
いや、
意思を、持てないでしょう。
子は、親の宝。
そして、
子にとっても、
親は、
宝物なんです。
大切にしてほしいんです。
きっと。
・・・
お互い、
難しい。
ほんとに、
決められない。
ただ、
幼い命を、自国で救わなくてはいけない局面に来ているのは事実。
もう、それは国際社会の必然。
命は何かっていう、
答えって見つけられないかもしれない話。
でも、
逃げてばかりもいられないみたい。
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