研究授業、終わる。
本日、研究授業が終わりました。
運動会関係で忙しい時期に、すごいね。
と、言われるわけですが、
実際どさくさに紛れてやってしまう感じで、楽といえば楽です。
何より、夏休み中にゆっくりじっくり準備できるしね。
課業中に準備すると、大変なんだこれが。
と、言うことで、
自分なりの授業ができたと思います。
楽しい雰囲気、でもやってることは真面目。
音で言うと、
ふわふわ~、
トントントン、
といったところ。
え? わからないって?
感覚で言うと、
柔らかいけど、中が硬い。
みたいな。
つまり、
誰でも暖かいな~。リラックスできるな~。
っという雰囲気があって。
楽しい教材があって。
ちゃんと学ぶべきところは押さえる感じ。
もちろん、
反省点はたくさんあって、
研究協議会は勉強になりました。
さて、
その中で感じたことを一つ。
なんだか、
「特別支援」って響きを聞いて、
「なんだかなー」と思うようになった自分がいたんですね。
「特別支援を要する子への対応が素晴らしい。」
なんてお褒めの言葉を頂くわけです。
嬉しいのです。
嬉しいのですが、
自分にとっては、特別じゃないな~と思うのですね。
だって、
毎日一緒に顔を合わすわけですよ。
それが毎日特別だったら、
すっごく緊張しません?
ボクにとっては日常です。
それに、
一人ひとりに、
「一番良い。」
と思うことをするのであれば、
みんなに平等に同じ支援をするわけではないわけですよ。
一人ひとりの対応が違うなんてことは、ごく普通。
だから、
特別ってわけじゃないと思ってるんですね。
特別ってのは、周りから見てそう思うのであって、
なんだか客観的な言葉だと思うんですよ。
なんだか、とても子どもっぽい理屈だなー。
自分側のことを色々言われるとプンプン!みたいな。
それに、「特別支援」以外に何か良い言葉あるの?
って言われると、「支援?」みたいに、特別取るくらいしか思い浮かばないという・・・。
主観的。
そう自分でも思いながら。
でもなー。
客観的すぎるのもねー。
どうかな。
って思うわけですよ。
保護者にしてみれば、
毎日一緒にいるわけですからね。
愛するわが子と。
特別であって、特別ではないのですよ(わかるかな?)。
だから、
自分自身は、
いつも、
その子のための最適。
を、目指したいと思ってるわけです。
※
もちろん、客観的が駄目って訳じゃないですよ。
客観的に見るからこそわかることが山ほどありますからね。
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